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山崎さんは、青森県の自然あふれる田舎町で育った。周りには山も川もあり、少し足をのばせば海もある。子供のころは、川で魚を獲って川原に落ちている枝に刺して焼いたり、山に実っている果物をもいではおやつ代わりに食べていた。それらをおいしく食べるためにと、遊びに出かけるときにはポケットにいつも台所から拝借した塩や砂糖が入っていた。料理をするのが大好きで、小学校の頃のお弁当だって自分で作っていた。そんな山崎少年が料理人を志したことは、ごく自然なことであった。
2年ほど地元で料理の基本を学んだのち、さらなる高みを目指し、ごくわずかなツテをたよりに東京に向かった。生来の生真面目さと料理や食材に対する真摯な姿勢は、抜きん出るものがあり、東北の大きなホテルを経たあと、34歳の若さにして地元弘前のホテルに総料理長として迎えられることになった。
しかし、総料理長という立場は、山崎さんの料理人としてのこれまでのスタイルと大きくかけ離れたものであった。山崎さんは、何よりも食材を大切にしてきた。
自ら市場に出向くことは当然のことで、いかにして旬の食材を料理に組み入れ、おいしく提供するかということに注力してきた。ところが、ホテル側からは一料理人としてではなく、統括する責任者、管理職としての仕事を強いられるようになった。それでも、食材への思いは止まず、時間を見つけては生産地に足を運ぶ日々が続く。現実とのギャップに苦悩する日々が長く続いたのち、信念を貫く形で独立する道を選んだ。42歳のときだった。 |
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開店当時は苦労したものの、山崎さんの信念と高い技術は多くの客を魅了していった。
「レストラン山崎」のメニューには、生産者の名前や産地が明記されている。その多くの生産者と、山崎さんは実際に会い、畑に立ち、彼らの苦労や努力を目にしてきた。最近では、産地を明記するレストランが増えてはいるが、料理人が実際に生産地にまで足を運ぶケースは、そう多くない。そのメニューのなかで、数多く登場する生産者に長谷川自然牧場がある。牧場主である長谷川光司さんと山崎さんとは、20年来の友人であり、苦労時代をともにしてきた盟友である。元々、長谷川さんは農家であった。それがあるとき、農薬被害による体調不良に見舞われた。彼は農薬や化学肥料を使うことを一切止め、人にも自然にもやさしい農業に転向した。そして、自然循環型農業には必要な有機堆肥を得るために、鶏を飼い豚を飼い始めたところから、畜産家としての人生が始まった。 |
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長谷川さんは、家畜は「人ではなく餌が育てる」ものだと考えている。従って、餌は人間が食べるものと同じようなものを与えて育てている。
たとえば、パン。県内の大手パン工場の賞味期限を過ぎたばかりのものを引き取ってくる。まだ十分食べられるものばかりだ。じゃがいもはスナック菓子用として栽培されたうち、商品に適さない小振りなものを引き受ける。実際に食べてみたが、甘くてホクホクとしていた。
また、長谷川さんは独自に自家発酵飼料を作っている。籾殻や米ぬか、炭などを発酵させるもので、臭みはなくさらさらと熊笹の香りがするほどである。
これらを食べて育つためであろう、長谷川さんが手塩にかけて育てる豚は、みな元気で人懐っこい。十分に肥育することで赤身にも見事なサシが入り旨みが増す。長谷川さんの育てる豚は、今では入手することも困難なほど高い評価を得ているが、まだ世の中に認められるずっと以前から応援し続けてくれていた山崎さんのレストランへは、欠かすことなく届けられている。
そしてそれらは、山崎さんの高い技術と経験によって活力あるフランス料理へと昇華していく。「僕の腕なんて大したもんじゃない。彼らが手がける食材が素晴らしいんだよ」とフライパンを揺する山崎さんの横顔は、生産者への敬意に溢れていた。地元を愛し、食材に敬意を払いながら包丁を握る山崎さんと、徹底した信念のもと努力を重ねた長谷川さんの想いが重なった一皿は、これから先も多くの人を魅了し続けることだろう。
〈取材・文 猪口ゆみ〉 |
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| 「人間が食べるじゃがいもを食べさせているんだよ」と長谷川光司さん |
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