 |
 |
稲庭うどんの歴史は古く、江戸中期の寛文五年頃、当時この一帯を治める佐竹藩への献上品として作り始められたという。ある特権階級しか食べることができなかった稲庭うどんは、時代の流れとともに今では広く食べることができるようになったが、それでもその製法は当時と変わらず手作業で行われているところが多い。現在、稲庭地区で稲庭うどんを作っているのは30軒ほどあるが、なかでもとりわけ繊細な稲庭うどんを作っているのが、高橋東一さんだ。
高橋さんがうどん作りを始めたのは、今から35年程前。当時、兼業農家だった父がはじめたうどん作りを手伝ったのが始まりだったが、長男であったこともあり、ほどなくして父の跡を継ぎ、専業のうどん職人となった。 |
 |
 |
 |
製麺業に就いたときから、高橋さんには目指している麺がある。透明感があり絹のようにつるりとしていてしなやか、それでいて強いコシを持ち、のどを越していくまで楽しめる麺。それは、まさに稲庭うどんの特性を最大限に生かした麺だ。
掲げた理想に近づくために、日々の作業を細かく分析し、変えるべき点はすぐに改良していった。また、麺質の要となる小麦粉の選定には特に重きをおき、種類の違うものを取り寄せ、自分の手で実際にこねて確かめ、さらに高品質な麺を目指してきた。 |
 |
 |
 |
手延べうどんの多くがそうであるように、稲庭うどん作りは天候や気温に左右される上、大変な労力を必要とする。早朝に生地をこねた後、ねかせては延ばし、延ばしてはねかせる作業を幾度も繰り返したあと、生地に包丁を入れて切り分ける。包丁を入れるのは後にも先にもこの一度きり。切り出したあとは手作業で麺を延ばし、綾がけと呼ばれる作業で生地に
よりを入れ、麺に強いコシを与える。
仕込み水は栗駒山系の地下水を使用しているのだが、雪深いこの地では2mを越す積雪は珍しいことではなく、寒い時期には手に痛みが走るほど冷たいのだという。しかし急激な温度差は生地に影響が出るため、ごくごくわずかな熱源以外は、自分が動いて温まる以外に暖を取る方法はない。決して楽ではない作業だが、それでもさらに上質な麺を生み出すために高橋さんの早い朝が始まる。
人生の半分以上を麺作りに費やしてきた麺職人は、35年の経験のなかで麺作りを始めた当時に思い描いた「理想の稲庭うどん」に限りなく近づいたかのようにみえる。だが、一日とて同じ麺は作れない。今日満足したからといって明日もまた今日以上に納得のいく麺が作れるとは限らない。「ただ、努力すればするほど麺はきちんと応えてくれるということだけは自信を持っていえますよ。」と笑う高橋さんが見つめる先には、明日の仕上がりを待つ麺が並んでいた。 |
 |
|
 |
 |
 |
| 乾燥室は2部屋に分かれている。朝日が差し込む本乾燥室には、ほぼ完成に近い麺が整然と並ぶ。 |
 |
 |
 |
| ここで働く数人の麺職人は、この札によって自分が作った麺がどれか、今日の出来はどうだったかを知ることが出来る。仕上がりに責任を持つと同時に日々の励みにもなるそうだ。 |
 |
 |
 |
| 早朝、小麦と塩水をあわせてこねていく。とても力がいる作業だ。 |
 |
 |
 |
| ある程度熟成させた生地を、一定の太さに包丁で切り分けていく。 |
 |
 |
 |
| 鉢のなかで渦巻き状に延ばしていく。手で触れることで、その日の麺の状態を知ることが出来る。 |
 |
|