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昭和42年。大学を卒業した王世奇さんは、迷うことなく調理人の道を選んだ。父親が中華料理の調理人であったこと、そして自分自身も食への関心が大きかったことが大きな誘因だったという。
王さんが修行の場として選んだ大阪市内にある高名な北京料理店は当時、連日1000名を越す来店客を抱える繁盛店。混雑時には25名前後の調理人が一寸たりとも手を休める暇がないほどの盛況ぶりだった。
仕事が終わり、皆が全身を脱力感で覆われ家路を急ぐなか、王さんだけは厨房に残り、たったひとりで研鑚を重ねた。「他の人はみんな、飲みに行ったり遊びに行ったりしてたよ。私もあの当時は若かったから遊びにも行きたかったし、働いていても眠くて何度も鍋を落としそうになったこともあった。」だが、それを上回る調理人としてのプライドが王さんを支えた。4年という、異例ともいえる短期間で切り場、炊き場、焼き場、そして菓子の全てをこなせるようになった。昭和55年、その抜きん出た技術と周囲の信頼を受け、総料理長を任せられた。 |
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平成7年。阪神・淡路大震災が転機となり、自分の店を構えることにした。悩んだ末、当時、日本にはなかった水餃子専門店に決めた。中国では餃子は焼くものではないし、にんにくはたれに添えるものであって具材には使用しない。本場、中国と同じスタイルで、それ以上においしい水餃子を提供しようと考えた。但し、専門店にするからには、中途半端は自分自身が許さない。今まで体得してきた知識と技術を水餃子一点に注ぎ、誰にも真似ができないほど完成度の高い一皿を完成させたのは、それから2年後のことだった。
「大丈夫。日本人に馴染みが薄い水餃子でも、心から満足してもらえるものを作ることが出来れば、必ず支持される。」開店までの間、ふと不安になったときには、こう言い聞かせてきたと言う。 |
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王さんが作る水餃子は、豚肉と丸鶏でとった濃厚なスープを具材にたっぷりと練り込むため、それをしっかりと包み込む弾力と強度のある皮でなくてはならない。小麦粉選びから始まり、納得できる皮が完成したのは開業間際だった。また、現在15種類以上ある水餃子のあんは、どれも中華料理ならではの素材をたっぷりと使用し上質のカキ油や生醤油などで味を調える。豚肉の挽き方や野菜の大きさなど、細部にまで配慮しているため、それぞれの味に特徴があり、それが新鮮で食べ飽きることがない。
干しナマコや干し貝柱も惜しげもなく使用する。毎朝、自ら中央市場に向かい自身の目で素材を確かめるのは、それが味にストレートに反映するのはもちろんのこと、よい素材が料理に活力を与えることを、長年の経験で誰よりも実感しているからだろう。 |
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| 王さんは現在、水餃子専門店とは別に中華料理店を構えている。そこでは、水餃子はもちろんのこと、バラエティに富んだ本格的な北京料理が楽しめる。厨房のなかで数人の弟子たちが働く間を縫って、細かい指示を出している王さんの姿は、往年の総調理長だった時代を彷彿させる。もちろん、自らも鍋をふって、訪れる客の舌を満足させつづけている。御年61歳。「美味しい」という言葉を聞くためだけに費やした人生は、これからも多くの来店客に支持されつづけていくに違いない。 |
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| 店内で茹で上げた水餃子。皮のなかにはまるで小籠包のようにジューシーなスープが包み込まれている。 |
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| 客席13席の店内。王さんの味を求めて遠方から訪れる客も多い。 |
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| 王さんの味の原点となる“黄金のスープ”。丸鶏と豚のばら肉を早朝からじっくりと慎重に完成させていく。 |
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| ひとつひとつ手作業で作られている。数名いる職人は、1時間に400個ほど作るそうだ。 |
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| 2年をかけて完成させた皮。「ここまで伸びるから、水分たっぷりの具材をしっかりと包めるんだよ」と王さん。 |
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| 神戸・南京町にある「上海餃子」。若者から年配者まで来店者は後を絶たない。 |
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