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福岡県と熊本県の県境にある山々のひとつに標高450mの釘山がある。その細くうねった県道を進み、山頂付近でさらに急なけもの道を登りきったところにあるのが、有機緑茶のJAS認証を取得した入江俊郎さんの茶畑だ。
周囲に隣接する畑はなく、扇状の段々畑は南向きでどの場所からも十分に日光を得ることができるし、朝晩の寒暖差は四季を通して厳しく茶葉の栽培には最適の立地だ。土壌は黒くツヤがあり、しっとりとして必要なだけの水分を蓄えている。微かではあるが花の蜜のような甘い香りさえする。
かつては一面が頑強な赤土で、作物の栽培には不向きな土壌であったとはとても想像ができない。「お茶作りは土作り」。緑が鮮やかに広がる茶畑を臨みながら入江さんはそう言って目を細めた。 |
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入江さんとお茶との出会いは20年以上前に遡る。軽い病で入院した際に知人から見舞いでもらったお茶が美味しく、ふとみると実家のある八女のお茶だった。胃の腑に沁みたその美味が自分の身近にあったことが嬉しく、父親から土地を譲り受ける際、山を開墾して茶葉栽培を始めた。
病がきっかけとなり始めた茶葉栽培である。そこで育てる茶葉は、美味しくて身体にもやさしいものにしたい。農薬や化学肥料は使用せずに作ろうと決めた。しかし、そんな思いを理解してくれる先輩は誰ひとりとして周りにいなかったし、「病気にやられたらすべておじゃん」と変わり者扱いされるだけだった。
意気揚々と参入したものの、茶葉の栽培で試行錯誤するその前の段階で立ち止まり、何のモデルも助言もないままに途方にくれていたとき、たまたま手に取った本に入江さんは我が意を得た。探していた答えがあった。「有機栽培」と書かれた1冊の本には、入江さんの求めていたすべてが明確に記されてあったのだ。 |
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それから徹底して土作りを始めた。固い赤土に鍬を入れ、微生物によって発酵された堆肥を鋤き込む。それを何度も繰り返す。山頂の、少々なことでは揺るがない赤土をなんとか茶樹が育つような土に変えるまでに約5年を要した。
最初の頃は茶葉を害虫に好き勝手に荒らされたり、茶樹自体が病気になることもあったが、農薬を使用することなど全く考えたことはなかった。それよりも土壌に自然の生態系を持ち込み、健全な環境を作ることで茶樹自体の抵抗力を高めることに注力した。
微生物が腐葉土を餌として育ち、その微生物が土壌に溢れることで豊富なアミノ酸を産出する。その栄養を根が吸収して逞しく育つのだ。今では1平方cmのなかに1億を超える微生物が生きているという畑には、ミミズやモグラなどが数え切れないほど住んでいる。冬になり茶畑を雪が覆っているときでも、土の中に手を入れてみると、ほの温かい熱を感じるほど土のなかは活力で溢れている。 |
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農家としての勘はとても大切だが、入江さんはそれだけに頼らず、土に含まれる微量なミネラルのバランスに着目する。土が発する声をより細かく聞くためには、土壌を分析して足りないものを把握し、その栄養素を補給しなければならない。しかし、それも必要最低限に留め、常に茶樹が栄養を渇望する状態を作るようにしている。
植物とて生き物。甘えられる環境のなかでは決して努力はしない。生きるために必要な養分を自ら欲さなければならない環境を作ることで、茶樹は土の中に深く根を張り養分を吸収し、見事な葉を実らせるのだ。
すると不思議なことに、病害虫は寄ってこなくなる。それは、人が健常なときにはかからない風邪であっても不健康なときにはかかってしまうのと一緒で、健やかな茶樹には、病害虫に襲われてもそれを跳ね除ける免疫力がついているのだという。 |
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この畑で育つ茶葉は、晩春には椿のように厚く大きく深緑色に輝く。どの葉をみても空に向かってすくっと勢いよく伸びている。虫に喰われている葉がほとんど見当たらないのには素直に驚いてしまう。その健やかさそのままに滋味深い緑茶となる。
4月の晴天の日を狙って一斉に一番茶を摘み取る。プチプチと摘みとったそばから、ほのかに甘苦いお茶の香りが漂い、その年の出来が伝わってくる。一番茶のあとは40日後に二番茶だ。三番茶以降は商品にはせずに畑に鋤きこんで、来年のために土に返す。お茶の大吟醸を目指す入江さんにとっては二番茶までで十分なのだ。
かくして完成した茶葉は何よりも滋味という言葉がふさわしいほど旨みが詰まっている。「とにかく土を作ること。それがすべて」。その一貫した信念に裏付けられた入江さんの茶葉は、それを口にするものに大地の息吹が伝わってくるようだ。 |
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